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5
「はーい、おまちどおさまっス!」
両手に弁当を抱えて、城之内は研究室の扉を器用に叩いた。中から声がしてから数分、開かれた扉から顔を見せた昨日までの同僚に笑顔で手にしたものを渡す。
「ご苦労さま、城之内くん。おかげさまで今日もアイくんは大繁盛よ!」
疲労の滲む顔とはうらはらに、清々しい笑顔で女性研究員は城之内を出迎えた。どうぞと勧められる扉の向こうを、もう部外者だからと遠慮した城之内は、しばらくその場で会話を交わしてから建物を出た。
ビルの前に停めてあった自転車の鍵を外して、なんとなく乗る気がなくて押して歩く。煌々と照り付ける日差しに、頭上の太陽を仰いだ。
「あーあ、ムカつくぐれーいい天気だな」
「貴様は天気がいいとムカつくのか」
「あ? あ、え……?」
不意に正面から聞こえた声に、驚いた城之内の手から自転車が傾ぐ。ガチャンと派手な音を立てて倒れた自転車を、長身の男がめんどくさそうに起こした。
「路上で何をボケているのだ」
汚いものを触るような手つきで、男は自転車を城之内に差し出した。早く受け取れと言うように押し付けられるそれを困惑した表情で城之内が受け取る。何度も何度も瞬きを繰り返す薄茶色の瞳が、偉そうに見下ろす青い目とかち合った。
「え、いや、なんでココに」
「昨日言っただろう」
「な、なにを?」
「明日も会いに行くと。待っていると言ったのは貴様だろう。一日しか経っていないのにもう忘れたのか」
大袈裟に溜め息をつく姿もほどよく響く低音も、随分久し振りのものだ。けれどその口調は記憶にひどく新しい。そう、昨日まで毎日耳にしていたから。
「……海馬」
自転車のハンドルを握る手が汗ばむのを感じながら、城之内はアスファルトに視線を落とす。全てを見透かすような青の色から逃げるように。隠すように。
「なんだ」
「オレに会いに来たのか、今日」
アイくんではなくて? 言外に城之内が滲ませる。
「だから言っているだろう。貴様に会いに来たのだ、城之内」
だから、その名を海馬は呼んでやる。
「そっか」
「ああ」
俯いたままの城之内の金茶の旋毛を海馬が見下ろす。顔を上げろと声を掛けようとしたら、ひどく控えめな声が耳に届いた。
「今日は何、話す?」
俯く城之内のうなじが赤く色付いているのを見て、海馬は薄く笑みを浮かべた。
了
4
アイくんの修復がようやく昨日で終わり、最終チェックを残すだけとなった。いよいよ明日から本物の人工知能アイくんが復帰し、偽者の城之内の役目は今日でおしまい。明日からはまた平凡な日々が戻る。
喜ぶべきことだった。もう人を偽ることに心を痛めることもないのだから。
「成功報酬ももらえるし、いいこと尽くしじゃねーか」
なあ、と自分に言い聞かせ、大きく深呼吸を繰り返しラストステージの幕開けを城之内は静かに待った。
――と、感傷に浸っていたのは最初だけ。
今日から連休ということもあってか、普段の倍以上の忙しさに息をつく暇もなし。引っ切り無しに訪れる客足は五分で昼食を済ませても対処しきれず、デュエルを選択されて、やっとひといきつくような状態だ。営業終了時間まで一時間を切っても、待合室にはまだ人がいるとの情報にげんなりと城之内の肩が落ちる。
「な、なんだコレ。喋りすぎで声嗄れそうだぜ……」
実は有名人がブログで紹介したなんて種明かしを城之内が知るのは、もっと後になってからである。とにかく10分刻みで更新される話題に対応するのに必死だったから、すっかり意識のそとにあったのだ。
今日だけで何十回と繰り返したセリフで出迎えた、その客は短く応えるだけだった。それだけで充分だった。
「……っ」
人工知能が息を呑むという稀な事態に遭遇した男は、けれど動揺も驚愕も見せずに世間話を切り出した。
「今日は珍しく繁盛しているな」
「……朝からずっとこんな調子です」
「そうか」
「今日から連休だからでしょうか」
「ああ、そうか連休か。だったら明日も同じかもしれんな」
「明日……もそうかもしれません。忙しいのはいいことです」
「不景気のサラリーマンみたいなセリフだな」
「似たようなものですから」
「疲れたのか?」
「私はAIなので疲れません」
「そうか」
「そうです」
「…………………」
「…………………」
「……あとが支えているようだから今日はこれで帰る」
「ま、だ時間はありますが」
「また明日、話しに来る」
「……はい、お待ちしています」
「…………………」
「…………………」
「また明日、な」
「はい、また明日」
そして訪れる静寂。スピーカーが拾った静かに扉が閉まる音を、どこか意識の遠いところで城之内は聞いた。
「明日はもう、オレじゃねーんだよ」
あっけない、あっけなさ過ぎる幕切れ。
「……なあ、海馬」
スイッチの切れたマイクは、微かに震えたその声をどこにも届けることはなかった。
ほどなくして、城之内は童実野電子科学工業での業務を無事に終えることとなる。
初めて入ったアイくんの住む小さな部屋で、物言わぬ不恰好なロボットの頭を撫でた城之内の肩が小さく震えていたことを、誰も知らない。
――本日の業務は全て終了致しました。
他愛ない10分間のやり取りを重ねるうちに、また数日が過ぎた。
アイくんは相変わらず海馬の様子を窺うようにしながら、いくつも話題を提供する。専門分野での討論ならともかく、日常会話スキルが著しい海馬にとってはありがたい相手だった。
しかし、会話を重ねれば重ねるほどアイくんから感じる違和感が大きくなり、またひとつの疑惑が海馬のうちを占めた。
――こいつは本当にAIなのか。
0と1から成るプログラムとするには、曖昧な印象。一貫性のない思考と、電子の声でも誤魔化せない感情が見え隠れする。
あまりにも人間くさいのだ、このAIは。
じっと、器量の悪いロボットを睨み付けて思考にふける海馬へ、今日も彼は呼び掛ける。
「今日は武藤遊戯さんの話でもしましょうか?」
「はあ? なぜヤツのことなど……」
「遊戯さんのファンではないのですか?」
「ハッ、まさか」
ファンなどと虫唾が走る。失笑と共に海馬は吐き捨てた。
「そうなんですか。てっきり遊戯さんを尊敬していらっしゃるのかと思っていました」
「やめろ。ヤツは倒すべきライバルだ」
それも宿命の、だ。キングに憧れるなど、格下がするものだ。
「目標は高くあるべきですからね」
「目標でもない」
「では他に目標にしている決闘者がいるのですか?」
「……しいて言うなら自分自身だ。そういうオマエは遊戯を尊敬しているのか?」
「私も尊敬ではなく目標です。武藤遊戯も」
一呼吸分、間があった気がした。そして続いた名に海馬は瞠目する。
「海馬瀬人も」
声が、重なって海馬の耳に届いた。人工的に造られた声と、記憶の中にある声が。海馬の名は、無機物にはおよそ似つかわしくない感情を乗せて告げられた。
その感情には、確かに覚えがあった。ここには勝気な視線が足りないけれど。それは間違いなく――。
海馬がいま、会話を続けている相手は本当にAIなのか。
いま一度、脳裏を占めるその疑問。
「明日はデュエルをするぞ」
確かめる手段はこれだけだ。海馬が知る男は、対戦中の彼だけだから。
健気で、無害なAIなど、最初からいないのかもしれない。誰も、海馬本人すら気付いていないけれど、確かに好意は向けられていたのに。
この好意はいったい誰に向けられたものなのか。
海馬には知る由もなかった。
「どうだった兄サマ、今日も順調?」
ここ数日で恒例となった弟の出迎えに、しかし男はいつになく曖昧な態度で返した。最初こそ渋っていたけれど、最近は機嫌良さげにしていただけに、今日の態度が気に掛かる。心配そうに長身を仰ぎ見たモクバを、低い声が呼んだ。
「モクバ」
まるで感情が抜け落ちたような兄の様子に、少年は眉根を寄せる。
「なに、兄サマ」
「童実野電子化学工業の一般公開用AIについて調べてくれ」
「アイくんの、なにを?」
やはり問題があったのか、とモクバが訝しげに問う。
「公開直前の研究室の様子と、ある男の現状を」
「誰? 研究室の人?」
造作の整った顔が渋面を作り吐き出された名前は、思いも寄らないものだった。
「ようこそいらっしゃいました。私はアイくんです。本日は何を希望されますか?」
「今日もせいぜい楽しませてくれ」
「お待ちしていました。では今日は――」
自称人工知能とやらが調査対象ではないと判明した今、ここを訪れる必要はなくなった。けれど無駄な時間だとわかっているのに、海馬は今日も不格好なロボットに会いに来た。
いま少し、この茶番劇に付き合うのも悪くない。何も知らずにアイくんを演じる馬鹿な男を、騙された振りをして嘲笑えばいい。
ここに通うには、充分な理由だった。
***
「今日もお疲れ様、城之内くん」
防犯カメラを担当している警備人が、スピーカー越しに業務の終了を告げる。労いの言葉に同様のものを返して、城之内がいつものように帰り支度を始めていると、スピーカーから途切れがちに会話が流れてきた。マイクのスイッチを切り忘れたのだろうか。雑音混じりの砕けた口調に苦笑をしながらカバンを肩から提げて退出しようとした城之内は、不意に飛び込んできた名前にびくりと肩を震わせた。
「今日も来てたな、KCの若社長」
「おお、これで何日連続だ? よっぽどアイくんがお気に召したようだな、あの旦那」
「KCと業務提携って話、マジだったのか。それにしても熱心に通ってるよな、海馬サン」
「まさか恋でもしちゃったかー?」
「おいおい、いくら変人で有名な海馬瀬人でもそりゃねーだろ」
「わかんねーぜ? パッと見はイケメンなのに、もったいないなぁ」
ゲラゲラと笑い声が響くなか、部屋を飛び出した城之内は逸る鼓動を掻き消すようにひたすら走った。自室に倒れ込むように転がるまでずっと歯を食い縛っていたせいで、口の中は鉄錆びの味が広がっていた。
見上げた天井を睨み付けた城之内は、引き攣った笑い声を上げ続けた。
「オレ、バカみてぇ」
もしかして、と思うことは何度もあった。だってあんな偉そうで横柄な態度の男なんてそうそういるもんじゃない。日を重ねるごとに疑念は強まり、やがて確信に近付いていった。
だから、こんな風に真実を知っても今更驚いたりしないけれど。
毎日、男が訪れるのを今か今かと待っていた自分自身に気付いてしまった。それが海馬だとわかっていながらあえて気付かない振りをして。
でも、あの男はアイくんの性能調査に来ていただけなのだ。業務提携のために、ただAI目的で訪れていただけのこと。
城之内に会いに来ていたわけじゃない。
「ったりめーだ、何考えてんだオレ」
楽しんでいたのは自分だけ。とんだお笑い種である。
「明日で最後だってのに」
知ってしまったいま、話すべき内容が思い付かない。どんな顔をしてマイクに向かえばいいのかわからない。
話したくない、けど。
3
だが城之内の懸念は杞憂に終わる。
「さあ、せいぜい楽しませてくれ」
夕刻時になると、男はいつものようにやって来た。他の来客者と同様に希望を聞いて、こんな要望を出すのは彼しかいない。どこの王様だと言わんばかりのセリフだというのに、安堵する自分を城之内は苦笑する。
(言い方はアレだけど、結局楽しんで欲しいって言ったオレに付き合ってくれるってことだよな)
ものは取りようというべきか。痘痕も笑窪ではないが、好意のフィルターがかかれば居丈高な態度もずいぶん意訳してもらえるということだ。印象がいかに大事かよくわかる。
「アナタが楽しいと思うのは何をしているときですか?」
まず、相手の感性を城之内は窺ってみる。こちらが楽しいと思うことでも、相手もそうだとは限らない。
「……仕事、だな」
「真面目な方なんですね」
その律儀さから意外な回答とは思わなかった。仕事が趣味とか、趣味を仕事にしているとか。いずれにしても仕事が楽しいのはいいことだ。嫌な仕事は誰でも出来ればしたくない。
(最初はこの仕事もそう思ったけど、な)
ある意味、この男のおかげかもしれない。精神的に少し滅入っていた城之内が、今もこうして元気に続けられているのは。
「そういうわけではないが……まぁ、目標もあるしな」
「目標?」
「ああ。オマエは何をしているときが楽しいんだ?」
「私は今も楽しいです」
「ではオマエも仕事か。同じだな」
この仕事が楽しいと思えるようになったのか。彼と話しているから楽しいのか。それともその両方か。まだその答えは出ないから「そうですね」と城之内は無難に返した。
(楽しいのは仕事中……じゃどうしようもねーしなぁ)
仕事が好きなサラリーマンが、まさかサボってここに訪れているはずがない。毎日この時間に来るのは、定時で上がった帰り道とかそのあたりだろうか。ということは営業マンではないのか。まあ、ぶっきらぼうな口調はあまり営業には向いてなさそうだ。
これ以上仕事について突っ込んで聞くわけにもいかないので――個人情報に関する問題もあるが、専門的な話でも振られたら返す言葉がない――この線で話を進める作戦は失敗だ。
それから10分が経つまでいくつか質問を繰り返してみたものの、結局、男が楽しいと感じる話題を振ることは出来なかった。
「明日また頑張るぜー」
言葉ではそう言うものの、力尽きたように城之内の上体が机上に倒れこむ。
知恵熱が出そうだった。
***
来るたび、この人工知能の印象が変わる。
「兄弟はいますか?」
「弟がひとりいる」
何を探っているのか、海馬が楽しめる会話をしたいと告げたAIは、いくつも質問を重ねた。今度は身内の話らしいが、それでどう続けるつもりなのだろう。まさかこの人工物にも兄弟作品があるとかそういうネタだろうか。
(楽しいかどうか知らんが、興味深い対象ではあるな)
存外、海馬はこの人工知能との会話を興味と称して楽しんでいたのかもしれない。けれど海馬自身、楽しんでいるという自覚は薄かった。
おかげでアイくんが躍起になる破目となるのだが、海馬の知ったことではない。
「弟さんとは仲良しですか?」
「悪くはないな」
「私にも妹がいます。可愛いです」
予想通りのネタが返ってきた。妹、というのはあのプレゼンで見た後続機のことだろうか。
「……あれは妹なのか。ならば余計に外観が残念だな」
目の前のハリボテとそっくりの、若干アレンジされたのか一層可哀想なことになっていた姿を思い浮かべる。
「可愛いです。自慢の妹です」
「オマエより優秀だろうしな」
最新鋭の後続機なのだからハードはともかくスペックダウンはないだろう。しかし、やはり妹と言われると違和感が拭えない。
(妹といえば……)
ふと、夕暮れ時の童実野埠頭でのシーンが脳裏を掠める。弟がもらい泣きしていた、兄妹のあの再会を。
(くそっ、また忌々しいあの凡骨め!)
沸き起こる破壊衝動を、海馬は舌打ちで誤魔化した。するとアイくんが突然また話題を変えてくる。今の舌打ちで、海馬が今の話題を気に召さなかったと判断したのだろうか。楽しんで欲しいと、人工知能は望んでいるから。
(こういう可愛げはヤツにはないからな)
あの男とは一対一でまともに会話が成立したことなどないに等しい。いつもいつもこちらが悪いみたいに喧嘩腰で突っ掛かってくるから、海馬も穏やかではいられないのだ。
決して良好と言えない関係のせいで、海馬は城之内のことなど決闘者として以外は遊戯の金魚のフン程度の認識しかない。クラスメイトだったというだけで、海馬はそもそも学校自体それほど通っていなかった。
城之内のことなど、ほとんど知らないのに。
「今日はもう時間になりました」
「ああ、ではまた明日な」
アイくんと対峙していると、なぜ幾度もあの頭の悪そうな顔が思い浮かぶのだろう。
この人工知能は、健気で無害な無機物なのに。
「今日はアナタのことを教えてください」
あいさつの口上を告げると打たれた微かな相槌を聞き止めた城之内は、次の文句を取りやめて昨日の目論見を実行した。すると案の定、男は少し戸惑ったように返答を詰まらせる。どうやらこちらから質問をされるとは思っていなかったらしく、そういう性能があるのかと確認してきた。
(あ、あー…しまった。アイくん的にはそこんとこどーなんだ?)
好奇心が勝ってつい聞いてしまったけれど、このAIの機能にそんなものが備わっているかなんて城之内だって知らない。一夜漬け状態で叩き込まれたデータの中にはそんな記述はなかった。ただし、出来ないという記述も。だったら、このままゴリ押してしまえ。
「アナタに興味を持ちました。アナタのことが知りたいです」
言い終わってから城之内は首を傾げた。慌てて言い繕ったせいで、なんだか妙な言い回しになった気がする。
(ってーかコレじゃコクってるみてーじゃねーか!)
マイクの前で頭を抱えて悶絶する。告げた内容に偽りはない。けれど、男が男に言うべきセリフでもない。これでは中学生の交換日記ではないか。壁の向こうの男同様に。
だが、幸いなことに城之内からすれば男同士でも、彼からすれば人間と機械。不自然な沈黙は落ちたものの、寄こされた返事は承諾を表すものだった。
ホッと胸を撫で下ろし、それじゃあと口を開いてみたものの、いざとなると何から聞けばいいのか全く考えていなかったことを思い出す。メモにでも書いて来ればよかったと後悔しながら、差し障りのないところから始めてみた。
「アナタは学生ですか? 社会人ですか?」
「学生、ではないな」
「働いておられるのですか?」
「ああ」
勢いで業種を問おうとして、さすがに踏み込み過ぎだと思いとどまる。するとそこで終わってしまった。
途切れた会話。落ちる静寂。
小さなノイズだけを零していたスピーカーが、ふいに溜め息を拾い上げる。ハッと城之内は伏せていた顔を上げた。
(あ、やべ。もしかして退屈させてる?)
10分間はあくまで制限時間だ。飽きればその瞬間、退室して構わない。ガタリと響いたパイプ椅子を引くような音に、城之内は焦ってマイクに向かい声を発した。
「好きな食べ物はなんですか?」
「フィレステーキだ。フォアグラソースがあればなおいいな」
咄嗟に出たのは、城之内が最初に受けた質問と同じものだった。返された内容はまるで逆のシロモノだったけれど。金持ちだ、と驚嘆しつつ、男がそうしたように何かコメントをすべきかと悩んでみたが、美味しそうですねも食べてみたいですねも機械が口にするにはおかしい気がして、結局そのまま質問を重ねることにした。一昨日のやり取りをなぞるように、男へ問い掛ける。嫌いな食べ物はおでん、理由は庶民的な味が嫌だとか。おいしいのに、と思わず口にしそうになって慌てて口を塞ぐ。だってアイくんが味を知っていたらヘンだろう。
で、次は何を聞かれたっけと記憶を辿り、ああそうだと思い出す。好きなモンスター、だ。
モンスターで思い出すのが、三日目に行ったデュエルだった。デュエル対決も可能とPRしているため、これまで幾度となく決闘を挑まれた城之内だが、これでもバトルシティ上位入賞者。並みの決闘者相手に遅れを取るつもりはない。その城之内が唯一負けを喫したのが、三日目のデュエルだった。その黒星を付けた相手というのが、いま対峙している男ではないかと城之内は睨んでいるのだが。
そんな相手から 果たしてどんな名前を出してくるのか。興味深げに返事を待つ。
ところが、寄越されたその名前に城之内はぎょっと目を剥いた。なぜなら、その名はある人物の代名詞的存在だ。いやいや、だけどモンスターには罪はない。偏見を取っ払ってしまえば、城之内とて決して嫌いではない。なんたって、自身の魂のカードの対たる存在だ。親友の最強のしもべに匹敵する攻撃力には、デュエリストなら充分憧れる。きっと、壁の向こうの彼もそういう理由なのだろう。そもそもイコールであのムカつくタカビー若社長と結び付けるのは軽率すぎる。
(そうだそうだ! ブルーアイズ好きだからって悪い奴ってわけじゃねぇ!)
ぐっと拳を握って心のうちで力説してから、またひとり会議を披露してしまい、相手を置き去りにしていたことに気付く。慌てた城之内が次の言葉を紡ぐ前に、スピーカーが音を立てた。
「そういえば、オマエの好きなモンスターはブラックマジシャンだったな。武藤遊戯をベースにプログラムされているのか?」
それは一昨日のこと。同じ質問に対して城之内は黒衣の魔術師を上げていた。即座に浮かんだのはもちろんレッドアイズなのだけれど、アイくんもその後続機もデュエルAIについては男が言うように決闘王をベースにプログラムされていると説明を受けたので、無難にその名を告げたのだが。
(これってアイくんの人格プログラムのこと聞いてんだよな……?)
どっちのことだろうか。城之内は眉を寄せる。人格はしいて言うなら城之内モデルというか、むしろ城之内自身だ。デュエルAIにしたって本来のアイくんは遊戯ベースだが、今は以下略。だが当然そんなことは口に出来ないから、ただノーだとだけ答えることにする。今は、と心の中で補足して。
けれど、これを受けての男の反応は予想外だった。
「……やはりな」
(え……)
やはり、ということはこのAIが遊戯をベースにしていないと想定していたことになる。彼とは違うと判断するには、少なからず遊戯本人を知っている必要がある。人格、デュエルいずれにせよ、これだけのやり取りで違いを感じ取れるほど熱烈なファンか、あるいは近しい人物か――。
(ゆ、遊戯ベースって言わなくて良かったぜ……)
うっかり告げていたなら怪しまれたかもしれない。遊戯の知り合いなら、交友関係の被る城之内もまた知らない相手ではない可能性もある。
(そーだとしたら誰だよこいつ。あ、けど……)
遊戯と共通の知人から該当しそうな人物を探り当てようとして、止める。音声を変えていても伝わってきた。やはりと言いつつ、当てが外れたとでも言わんばかりの落胆したような呟き。
(この人、遊戯のファンなのかも)
だから、がっかりしたのかもしれない。アイくんのモデルが遊戯ではないと知って。焦れたような空気がスピーカーを介して伝わってくるのは、きっとそのせいだ。
アイくんが正常に起動していたなら、せめてデュエルは男の尊敬する遊戯をベースとしたAIと対戦出来たのだろうけど。アイくんの故障は城之内のせいではないけれど、いままた欺いているという事実が城之内に重く圧し掛かる。
けれど不快だろう男が口にしたのは、責める言葉ではなく。
「それより他に何か聞きたいことはないのか?」
居た堪れなさに俯けていた顔を、城之内は上げた。視線の先に顔も知らない男の影を捉えて、気合を入れる。
よし、決めた。
「私はアナタと話していると楽しいです。だからアナタもそうだと嬉しい」
たとえ遊戯じゃなくても、この男が気落ちすることがないようにしたい。それが遊戯とアイくん、二重に偽る城之内が唯一できることだから。
「明日もまた来る。せいぜい楽しませてくれ」
幸いなことにそう言い置いた男だったけれど、この日はまだ幾分か残っていた時間を切り上げて立ち去られたことに、城之内は動揺を隠せなかった。
「明日、来るよな……」
思った以上に、男への好意は募っていたらしい。