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だが城之内の懸念は杞憂に終わる。
「さあ、せいぜい楽しませてくれ」
夕刻時になると、男はいつものようにやって来た。他の来客者と同様に希望を聞いて、こんな要望を出すのは彼しかいない。どこの王様だと言わんばかりのセリフだというのに、安堵する自分を城之内は苦笑する。
(言い方はアレだけど、結局楽しんで欲しいって言ったオレに付き合ってくれるってことだよな)
ものは取りようというべきか。痘痕も笑窪ではないが、好意のフィルターがかかれば居丈高な態度もずいぶん意訳してもらえるということだ。印象がいかに大事かよくわかる。
「アナタが楽しいと思うのは何をしているときですか?」
まず、相手の感性を城之内は窺ってみる。こちらが楽しいと思うことでも、相手もそうだとは限らない。
「……仕事、だな」
「真面目な方なんですね」
その律儀さから意外な回答とは思わなかった。仕事が趣味とか、趣味を仕事にしているとか。いずれにしても仕事が楽しいのはいいことだ。嫌な仕事は誰でも出来ればしたくない。
(最初はこの仕事もそう思ったけど、な)
ある意味、この男のおかげかもしれない。精神的に少し滅入っていた城之内が、今もこうして元気に続けられているのは。
「そういうわけではないが……まぁ、目標もあるしな」
「目標?」
「ああ。オマエは何をしているときが楽しいんだ?」
「私は今も楽しいです」
「ではオマエも仕事か。同じだな」
この仕事が楽しいと思えるようになったのか。彼と話しているから楽しいのか。それともその両方か。まだその答えは出ないから「そうですね」と城之内は無難に返した。
(楽しいのは仕事中……じゃどうしようもねーしなぁ)
仕事が好きなサラリーマンが、まさかサボってここに訪れているはずがない。毎日この時間に来るのは、定時で上がった帰り道とかそのあたりだろうか。ということは営業マンではないのか。まあ、ぶっきらぼうな口調はあまり営業には向いてなさそうだ。
これ以上仕事について突っ込んで聞くわけにもいかないので――個人情報に関する問題もあるが、専門的な話でも振られたら返す言葉がない――この線で話を進める作戦は失敗だ。
それから10分が経つまでいくつか質問を繰り返してみたものの、結局、男が楽しいと感じる話題を振ることは出来なかった。
「明日また頑張るぜー」
言葉ではそう言うものの、力尽きたように城之内の上体が机上に倒れこむ。
知恵熱が出そうだった。
***
来るたび、この人工知能の印象が変わる。
「兄弟はいますか?」
「弟がひとりいる」
何を探っているのか、海馬が楽しめる会話をしたいと告げたAIは、いくつも質問を重ねた。今度は身内の話らしいが、それでどう続けるつもりなのだろう。まさかこの人工物にも兄弟作品があるとかそういうネタだろうか。
(楽しいかどうか知らんが、興味深い対象ではあるな)
存外、海馬はこの人工知能との会話を興味と称して楽しんでいたのかもしれない。けれど海馬自身、楽しんでいるという自覚は薄かった。
おかげでアイくんが躍起になる破目となるのだが、海馬の知ったことではない。
「弟さんとは仲良しですか?」
「悪くはないな」
「私にも妹がいます。可愛いです」
予想通りのネタが返ってきた。妹、というのはあのプレゼンで見た後続機のことだろうか。
「……あれは妹なのか。ならば余計に外観が残念だな」
目の前のハリボテとそっくりの、若干アレンジされたのか一層可哀想なことになっていた姿を思い浮かべる。
「可愛いです。自慢の妹です」
「オマエより優秀だろうしな」
最新鋭の後続機なのだからハードはともかくスペックダウンはないだろう。しかし、やはり妹と言われると違和感が拭えない。
(妹といえば……)
ふと、夕暮れ時の童実野埠頭でのシーンが脳裏を掠める。弟がもらい泣きしていた、兄妹のあの再会を。
(くそっ、また忌々しいあの凡骨め!)
沸き起こる破壊衝動を、海馬は舌打ちで誤魔化した。するとアイくんが突然また話題を変えてくる。今の舌打ちで、海馬が今の話題を気に召さなかったと判断したのだろうか。楽しんで欲しいと、人工知能は望んでいるから。
(こういう可愛げはヤツにはないからな)
あの男とは一対一でまともに会話が成立したことなどないに等しい。いつもいつもこちらが悪いみたいに喧嘩腰で突っ掛かってくるから、海馬も穏やかではいられないのだ。
決して良好と言えない関係のせいで、海馬は城之内のことなど決闘者として以外は遊戯の金魚のフン程度の認識しかない。クラスメイトだったというだけで、海馬はそもそも学校自体それほど通っていなかった。
城之内のことなど、ほとんど知らないのに。
「今日はもう時間になりました」
「ああ、ではまた明日な」
アイくんと対峙していると、なぜ幾度もあの頭の悪そうな顔が思い浮かぶのだろう。
この人工知能は、健気で無害な無機物なのに。