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「今日はアナタのことを教えてください」
すっかり耳に馴染んだ電子の声が決まり文句を述べたあと、海馬の声に重なるようにアイくんはいつもと違う反応を見せた。受動的なイメージの強い人工知能からの想定外のアプローチに、青い目が大きく瞠られる。
「き、オマエ、そういう機能もあったのだな」
「そういう?」
「オマエから訪問者に対して質問するという機能だ」
昨日、一昨日と海馬から質問は多数すれど、一度としてそれを返されたことはなかった。だからこの人工知能には質問を投げ掛けるという機能は備わっていないものと思っていたのだが、違ったようだ。個体認識が出来ないから、得た情報を個別データとして蓄積することが不可能というだけなのだろう。と海馬が結論付けようとしたのだが。
「アナタに興味を持ちました。アナタのことが知りたいです」
「……………………」
これはどう捉えたものか。いま目の前にいる人物の情報を収集したいという意味だろうか。あるいは、海馬個人を認識した上でのことだろうか。いやしかし個別認識が不可能という前提で考えれば、今日この部屋に入ったばかりの海馬に対して「興味を持った」は妙な反応ではないだろうか。それともこれもまた初期対応のバリエーションのひとつかもしれない。三日間で朧気ながら掴み掛けたと思ったアイくんという人工知能の性能が、ここにきて再び未知数となった。
と、なると海馬の選択肢はひとつ。
「オレの何を知りたいのだ?」
ひとまずは、こちらも情報収集だ。せっかく研究対象から話を振られたのだがら乗らない手はない。海馬が問い返すと、しばらくの間ののち。
「アナタは学生ですか? 社会人ですか?」
「学生、ではないな」
「働いておられるのですか?」
「ああ」
ぷつりと途切れる会話。自分から相手への質問のバリエーションは少ないのだろうか。よくわからん機械だと海馬はふっと息を吐き、堅い椅子に座り直す。すると次の質問が、気のせいか少し早い口調で寄越された。
「好きな食べ物はなんですか?」
海馬が最初にした質問だ。質問内容としては定番もいいところだが、一般的に機械に対してする質問とは言い難い。一応ヒト科に分類される海馬に対しては、別段おかしいものでもない。アイくんの方が常識的ということか。だが幸いなことに海馬がその事実に気付くことはない。
「フィレステーキだ。フォアグラソースがあればなおいいな」
「嫌いな食べ物はなんですか?」
「庶民の食べ物は好かんな。特におでんは人間の食い物とは思えん」
庶民臭い味と下品な匂いを思い出し、端正な顔を盛大に顰める。アイくんはまた少し沈黙した。
(このAIの一番の謎はこの妙な間だな。反応速度が一定でなく法則性もない……か)
高性能なんだかそうでないのか、評価に苦しむヤツだなと海馬が分析していると、ようやくアイくんから声が掛った。またしても以前に海馬がしたものと同じ内容だ。
「好きなモンスターはなんですか?」
「……ブルーアイズ、ホワイトドラゴンだ」
青眼白龍といえば海馬瀬人。変装まがいの格好をしている手前、正直に言ってしまうのもどうかと暫し逡巡するものの、ブルーアイズとデュエリストの誇りにかけて嘘は付けない海馬だった。目の前の人工知能にか、あるいは監視カメラでか。いずれにしても、敢えて主張はしないというだけで海馬と特定されたとて、疚しいことはなにもない。
「そういえば、オマエの好きなモンスターはブラックマジシャンだったな。武藤遊戯をベースにプログラムされているのか?」
ふと、思い出して疑問を口にする。プレゼンでデュエルに関するプログラムは決闘王である遊戯の対戦記録をベースにしていると言っていたから、試作品であるこのアイくんもその可能性が高い――が。
初日のデュエルを想起すると、その可能性はゼロに等しい。伊達に宿命を背負ったライバル同士ではない。あのカード運びは遊戯とは違うと断言出来る。
「いいえ、違います」
案の定、アイくんは否定する。
「……やはりな」
予想通りの答えに頷きながら意識を馳せるのは、瞼の奥でリプレイされているこのAIのデュエル。
ああ、そうだ。あの、海馬には到底理解出来ないリスキーなカードの切り方は、遊戯ではなく。
(あれはむしろ――いや、ないな)
もやもやと中空に浮かび上がる輪郭を、首を振ることで無理やり掻き消す。あんなものを参考にしたところで何の利点もないのだから、そんな仮定は有り得ない。
「なにか問題でも?」
掛けられたアイくんの平坦な声が、思惟にふける海馬を呼び戻した。はっと我に返り、青瞳を瞬かせる。
「いや、」
よしんばあの男がモデルだったとしても、人工知能のレベルを計るのには何ら問題はない。ただ、もしもデュエルデータのみならず人格構成までもがそうだったとしたら、会話によるデータ収集が困難になるだけだ。
海馬とあの男の間には、会話が無事に成立したためしがない。なぜなら、口を開けば悪態ばかりつく男が海馬に向ける感情は、いつだって敵意しかないのだから。
(くそっ、忌々しいヤツめ……)
と、そこまで考えて、振り払ったはずの影をまた呼び出している事実に海馬はげんなりする。バトルシップでの遊戯との対戦時といい、本人不在でも邪魔な男だ。
「それより他に何か聞きたいことはないのか?」
咳払いをひとつして、話題を変えるように海馬がアイくんに尋ねた。視線の先には不恰好なレトロロボット。無意味にイラッとくる姿は相変わらずだが、鈍い色のブリキ調のボディも無気力なガラス玉の目も何もかもが正反対で海馬はほっと安堵する。このハリボテに対して負の感情以外を持つのは初めてのことだった。
(――と考えれば、あんなバカでも少しは役に立つものだな)
ふと過ぎった、まるで褒めているかのような所感にしそうになった舌打ちを、咄嗟に海馬は飲み込んだ。人工知能に配慮など必要ないのに。
それなのに、この無機物ときたら。
「アナタ、は私と話していて楽しいですか?」
「……は?」
「楽しくない、ですか? いま」
0と1で構築されているはずの人工知能が、詰まるように声を出す。先ほどの舌打ちが原因だろうか。いやまさか、気のせいだ。おそらくスピーカーの調子が悪いのだろう。
それにしても質問の意図がよくわからない。海馬の眉間に皺が刻まれる。
「なぜそんなことを聞く?」
「私はアナタと話していると楽しいです。だからアナタもそうだと嬉しい」
ゆっくりと、返される言葉はどこか不安げだ。なんと健気な台詞だろうか。これがヒトを模倣しているというのなら、このAIの性能は海馬の想像を遥かに凌駕している。しかし今の技術でこんなことが有り得るのかと俄かには信じがたい。これらの台詞もデータとしてプログラムされた一部だとするのが妥当だろう。舌打ちや苛立ちを示す言葉に対し、返す台詞としてプログラムされているだけのこと。相手の機嫌を取るなどと、なんと小賢しい人工知能か。
けれど、その台詞はあまりにも脳裏をちらつく影とかけ離れていたことに、海馬はむしろ気を良くした。
あの男なら、海馬に向かって絶対にあんな台詞は吐かないだろうから。
「明日もまた来る。せいぜい楽しませてくれ」
「はい、お待ちしています。頑張ります」
だから、軽快に響く電子の声が、遊戯と呼ぶ声と重なって聞こえたなんてことは有り得ない。空耳だ。
タイムリミットをアイくんが告げるよりも先に、海馬は部屋を出て行った。
その場から逃げ去るように――。