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日々徒然
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   2

 

 

 

「……と工夫をすればカレーがおいしく仕上がります」

 最新鋭AI、通称アイくんの機械じみた声がそう締めくくると、モニターの前に座っていた少女がにこりと笑みを零した。

「ああ、そうなのね。明日絶対試してみるわ!」

 曰く、明日彼女の自宅を訪れる彼氏のために、おいしい手料理を披露したいと。料理はちょっぴり苦手なので簡単なのがいいと。そう思い詰めたように相談した彼女へ、アイくんは的確なアドバイスを寄越してくれた。さすが最新鋭のAI。どんな分野にも対応可能らしい。彼女はひどく感心しながら喜んだ。

「今日はありがと、アイくん! また来るね!」

 弾んだ声とともに、少女はその部屋を後にした。

 

 

 

「……また、来るのかあの子……あ、いけね、声入っちまったぜ」

 

 

 

 シンと静まった室内に、そんなアイくんの呟きが落とされた。さすが最新鋭AI。愚痴まで零すのか――。

 

 

 ***

 

 

 ――なんていくら最新鋭といえど、そんなビックリ機能はついていない。

「城之内くん、声漏れてるよ」

 ザザッと僅かな雑音と共にスピーカーから聞こえた声に、城之内は慌てて伏せていた顔を上げた。室内には誰もいないとわかっているのにキョロキョロと辺りを窺うと、スピーカーから再び声が掛けられる。

「時間だよ、お疲れ様」

「あ、お疲れ様です」

 反射的に返しながら時計に目をやると、確かに18時を少しばかり過ぎていた。今日も一日、ひとまず無事に済んだということに、安堵しながらマイクの電源を落とす。と、同時に人工知能・アイくんも沈黙した。

 なんと最新鋭AIの中には人がいた!

 なんて芸人のコントでもあるまいし、企業が取り扱うロボットがサイエンスを装ったマジックでしたではただの詐欺である。そう、立派な詐欺行為なのだ。一般公開されている最新鋭と謳ったAIが、実際にはハリボテロボットの裏で人間が受け答えを行っているのだから。

「なんかこう良心の呵責的なモンがなぁ……」

 もそもそと帰り支度をしながら城之内は小さく呟く。仕事を始めて三日目、情に訴えられて引き受けてしまったことを早くも後悔し始めていた。

「あと二週間、頑張れるかなオレ……ハハ」

 とりあえず、二週間。アイくんを演じてくれと頼まれたのが、ほんの五日前のこと。もともと仕出し弁当の配送スタッフとしてこの童実野電子科学工業に出入りしていた城之内は、その日の昼前にいつものように弁当を届けたところ、どういうわけかとある研究室に入ったとたん泣き付かれたのである。

 城之内くんってデュエル出来たよね!? と。

 オッサンから若いお姉さんまで数人から逃さないとばかりに縋り付かれては、弁当を置いてサヨナラというわけにはいかず、話を聞くことになったのが運のツキ。なんでも明後日から一般公開される人工知能が致命的な損傷を負い、修復作業が必要になってしまったのだとか。どんなに優秀なスタッフで寝食を削って作業に当たっても修復には最低二週間かかる。それでは一般公開に間に合わない。ならば一般公開を延期すればいいじゃないかと城之内が提案すると、詳しいことは言えないがとある企業に社運を賭けて業務提携を持ちかけており、試作品といえどもミスがあったなどと不利になる要素が公表されるのは避けたいという。

だからと言って隠蔽工作など言語道断ではないかと更に言い募ろうとした城之内は、今にも首を括りそうな面々を目の当たりにしてつい魔が差してしまった。

 つまり、この隠蔽工作=詐欺行為の片棒を担ぐことに了承してしまったのだ。

 頷いてしまったが最後、あれよあれよという間に契約は交わされ――なかなかの日当だ――アイくんについての基礎知識や一般公開用マニュアルを叩き込まれ、そしてマイクの前に座っていたのが三日前。人員不足からサポートは付けられないとのこと。そんな無茶なと思ったが、そのために修復が遅れても困るので渋々了承した。

 そうして城之内はアイくんとなった。

「絶対オレ、早まったよなぁ」

 はぁ、と溜め息を廊下に落としながら、重い足を引き摺って城之内は岐路に着いた。

 

 

  ***

 

 

四日目になると、ようやく己の良心との折り合いが付いてきた。来客者もわりと面白半分でアイくんとの会話を楽しんいる。そのことが城之内の気持ちを軽くした。最初は聞いてはならない秘密なんかを打ち明けられたり相談されたりしたらどうしようとスピーカーから聞こえる声にビクビクしたものだ。

 個人情報だかプライベートがどうとかへの対処法として、城之内の元へ届くのは機械で変化させた来客者の音声のみだった。因みに防犯カメラを担当する防災センターへは逆に無音の映像だけ。個人を特定出来ないようにと、急遽取った策である。

 宣伝効果が弱いのか知名度が低いのか、一日当たりの来客数はそれほど多くはない。会話内容から察するに学校帰りの高校生や大学生が、一人で来たり友達同士連れ添って来たりというのがほとんどだ。そこに時折、子連れ主婦やフリーターが混じる。18時までというのも原因だろう。サラリーマンらしき人物は極めて少ない。

 女子高生などは大概がいわゆる恋バナというやつだ。そんなもの打ち明けられても正直困るのだが、複数で来た場合は勝手に向こうで盛り上がってくれるので割りと対応は楽だった。一組当たりに設けられたアイくんとの対面時間は10分と制限されている――ボロが出てはいけないので短めに設定してある――ので、他愛ない遣り取りをしていると、あっという間に終了。はい、次の方となる。今日の天気の話、晩ごはんの話、本やゲームの話、そして先ほどのようにアドバイスを依頼されたり。

 それなりに慣れてきたけれど、偽っているという事実は変わりなく城之内に重く圧し掛かっていた。

 そんな四日目の夕方、その男はやって来たのだ。

 

「好きな食べ物はなんだ?」

 

 機械のアイくんに、そんなことを聞いた男は。

 

  ***

 

「……………っ」

 思わず上げそうになった声を、寸でのところでなんとか止める。いくら予想外の質問でも、さすがに「はぁ?」なんて声を上げるわけにはいかない。城之内は今、アイくんなのだから。

それにしたって、明らかに食事が不可能な人工物に対してこの質問はどうだ。好きも嫌いも、そもそも食ったことがないのにと城之内は返答に窮した。一応アイくんにもプロフィールはある。事前にそれは城之内も叩き込まれたし、手元に資料も常備している。しかし、あくまでスペック的な意味でのものだ。

(そういやリカちゃんにだって食べ物の好き嫌いはあったよな)

名誉のために補足しておくと、別に城之内がリカちゃんマニアなのではなく、彼の妹が好きだったのだ。

人形だって人工物。ならばアイくんに好きな食べ物があってもおかしくない。ないはずだ、きっと。それより早く答えないと不審がられる。そう自分に言い聞かせた城之内の口から出たのは。

「カレーライスです」

 城之内自身の好物だった。とっさのことで、頭の中にはそれしか思い浮かばなかったのだ。それに対して男の反応はというと。

「庶民的だな」

 音声を変えてあるせいで定かではないが、おそらく鼻で笑われている。ということは男はセレブ層の人間なのだろうか。若干ムカつきながら城之内が考えていると、男から次の質問が投げられた。予想通り、今度は嫌いな食べ物だ。だからそんなこと聞かれても以下略。

(あー、もうめんどくせぇ! もうオレのでいいよな)

「特にありません」

「そうか、つまらんな」

(つまんねーってなんだよ!)

好き嫌いがないのはいいことじゃないか。自分が責められたような気持ちになって、拗ねたように城之内は唇を尖らせる。すると、また男は質問をしてきた。

 以下、趣味や特技、好きなモンスターに嫌いなモンスターなどが続いた。それらはおよそAI相手にするようなものではない。変な男だと思いつつ、城之内は自身に当てはめながら答えていった。

 どうやらデュエルが好きらしい。反応が良かった。そういえば、昨日えらく強い相手に出会ったなと城之内は思い出す。自分のデッキではないものの、かなり本気で挑んだというのに負けてしまったあの一戦。案外この人だったりして、なんて思いながら受けた質問にレッドアイズを避けて「ブラックマジシャン」と答えたら、「どこがいいんだ」とばっさり返された。デュエルで痛い目でも見たのだろうか。確かに親友が頼りにする魔術師は強い。城之内も度々痛い目を見た。同士だな、とマイクの影でクスリと笑う。そんな会話を交わしていると、あっという間に制限時間が訪れた。

 男の退室の知らせをモニタールームから受け、城之内は大きく息を吐き出す。おかしな問答だったが、思いのほか楽しかった。けれど先ほどの時間を反芻すると、遮断されたマイクに向かって言わずにはいられなかった。

「見合いの練習でもしに来たのか、あの人……」

 改めて、変な人だと思った。

 明けて、翌日。

今日もまた、その奇妙な男は来た。いや、城之内に届くのは合成された音のみなのではっきりと確認できたわけではないのだが、機械相手にこんな質問を繰り返す人間にそう度々遭遇することはないだろう。

 男はやって来るなり昨日の続きとばかりに矢継ぎ早に質問をアイくんに寄越した。その内容は変わり映えなく、好きな季節や動物、花など見合いというよりまるで中学生の交換日記だ。花の種類なんざ知るかよと思いつつ幼いころに妹と摘んだ「たんぽぽ」と答えれば、雑草が好きなのかと笑う気配がスピーカーから伝わる。雑草魂で何が悪い。のどの奥で毒づいて、城之内は次の言葉を待った。

 男の問う内容はとても拙い。好きなもの、嫌いなもの。気が向けばその理由も。口調から小中学生とは考えにくい。機械的な確認作業のように思えなくもないが、男はアイくんが返す答えに律儀にもいちいちなんらかの感想を述べる。どちらかというと、交際相手かあるいは片思い相手との会話のシミュレーションじみていた。そう考えると、少なくとも高校生以上であろう男の初々しいまでの話術がとても好ましいものに思えてくる。

 会話を繰り返すうち、城之内は自分が与えた答えへの男の反応が楽しみになっていた。律儀で割と傲慢、おそらく融通が利かない。そんなイメージを思い描く男のことを、もう少し知りたいと城之内は思い始めていた。

 もしも明日も彼が来たならば、今度はこちらから質問責めにしてやろうか。

 そんなことを考えながら過ごした時間は、アイくんを演じるようになってから一番短いものに感じられた。

「赤、嫌いなのか。あの人」

 城之内の口から零れ落ちた声は、思いのほか落胆が滲んだものだった。

 

 

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「今日はアナタのことを教えてください」

 すっかり耳に馴染んだ電子の声が決まり文句を述べたあと、海馬の声に重なるようにアイくんはいつもと違う反応を見せた。受動的なイメージの強い人工知能からの想定外のアプローチに、青い目が大きく瞠られる。

「き、オマエ、そういう機能もあったのだな」

「そういう?」

「オマエから訪問者に対して質問するという機能だ」

 昨日、一昨日と海馬から質問は多数すれど、一度としてそれを返されたことはなかった。だからこの人工知能には質問を投げ掛けるという機能は備わっていないものと思っていたのだが、違ったようだ。個体認識が出来ないから、得た情報を個別データとして蓄積することが不可能というだけなのだろう。と海馬が結論付けようとしたのだが。

「アナタに興味を持ちました。アナタのことが知りたいです」

「……………………」

 これはどう捉えたものか。いま目の前にいる人物の情報を収集したいという意味だろうか。あるいは、海馬個人を認識した上でのことだろうか。いやしかし個別認識が不可能という前提で考えれば、今日この部屋に入ったばかりの海馬に対して「興味を持った」は妙な反応ではないだろうか。それともこれもまた初期対応のバリエーションのひとつかもしれない。三日間で朧気ながら掴み掛けたと思ったアイくんという人工知能の性能が、ここにきて再び未知数となった。

 と、なると海馬の選択肢はひとつ。

「オレの何を知りたいのだ?」

 ひとまずは、こちらも情報収集だ。せっかく研究対象から話を振られたのだがら乗らない手はない。海馬が問い返すと、しばらくの間ののち。

「アナタは学生ですか? 社会人ですか?」

「学生、ではないな」

「働いておられるのですか?」

「ああ」

 ぷつりと途切れる会話。自分から相手への質問のバリエーションは少ないのだろうか。よくわからん機械だと海馬はふっと息を吐き、堅い椅子に座り直す。すると次の質問が、気のせいか少し早い口調で寄越された。

「好きな食べ物はなんですか?」

 海馬が最初にした質問だ。質問内容としては定番もいいところだが、一般的に機械に対してする質問とは言い難い。一応ヒト科に分類される海馬に対しては、別段おかしいものでもない。アイくんの方が常識的ということか。だが幸いなことに海馬がその事実に気付くことはない。

「フィレステーキだ。フォアグラソースがあればなおいいな」

「嫌いな食べ物はなんですか?」

「庶民の食べ物は好かんな。特におでんは人間の食い物とは思えん」

 庶民臭い味と下品な匂いを思い出し、端正な顔を盛大に顰める。アイくんはまた少し沈黙した。

(このAIの一番の謎はこの妙な間だな。反応速度が一定でなく法則性もない……か)

 高性能なんだかそうでないのか、評価に苦しむヤツだなと海馬が分析していると、ようやくアイくんから声が掛った。またしても以前に海馬がしたものと同じ内容だ。

「好きなモンスターはなんですか?」

「……ブルーアイズ、ホワイトドラゴンだ」

 青眼白龍といえば海馬瀬人。変装まがいの格好をしている手前、正直に言ってしまうのもどうかと暫し逡巡するものの、ブルーアイズとデュエリストの誇りにかけて嘘は付けない海馬だった。目の前の人工知能にか、あるいは監視カメラでか。いずれにしても、敢えて主張はしないというだけで海馬と特定されたとて、疚しいことはなにもない。

「そういえば、オマエの好きなモンスターはブラックマジシャンだったな。武藤遊戯をベースにプログラムされているのか?」

 ふと、思い出して疑問を口にする。プレゼンでデュエルに関するプログラムは決闘王である遊戯の対戦記録をベースにしていると言っていたから、試作品であるこのアイくんもその可能性が高い――が。

初日のデュエルを想起すると、その可能性はゼロに等しい。伊達に宿命を背負ったライバル同士ではない。あのカード運びは遊戯とは違うと断言出来る。

「いいえ、違います」

案の定、アイくんは否定する。

「……やはりな」

 予想通りの答えに頷きながら意識を馳せるのは、瞼の奥でリプレイされているこのAIのデュエル。

ああ、そうだ。あの、海馬には到底理解出来ないリスキーなカードの切り方は、遊戯ではなく。

(あれはむしろ――いや、ないな)

 もやもやと中空に浮かび上がる輪郭を、首を振ることで無理やり掻き消す。あんなものを参考にしたところで何の利点もないのだから、そんな仮定は有り得ない。

「なにか問題でも?」

 掛けられたアイくんの平坦な声が、思惟にふける海馬を呼び戻した。はっと我に返り、青瞳を瞬かせる。

「いや、」

 よしんばあの男がモデルだったとしても、人工知能のレベルを計るのには何ら問題はない。ただ、もしもデュエルデータのみならず人格構成までもがそうだったとしたら、会話によるデータ収集が困難になるだけだ。

海馬とあの男の間には、会話が無事に成立したためしがない。なぜなら、口を開けば悪態ばかりつく男が海馬に向ける感情は、いつだって敵意しかないのだから。

(くそっ、忌々しいヤツめ……)

と、そこまで考えて、振り払ったはずの影をまた呼び出している事実に海馬はげんなりする。バトルシップでの遊戯との対戦時といい、本人不在でも邪魔な男だ。

「それより他に何か聞きたいことはないのか?」

 咳払いをひとつして、話題を変えるように海馬がアイくんに尋ねた。視線の先には不恰好なレトロロボット。無意味にイラッとくる姿は相変わらずだが、鈍い色のブリキ調のボディも無気力なガラス玉の目も何もかもが正反対で海馬はほっと安堵する。このハリボテに対して負の感情以外を持つのは初めてのことだった。

(――と考えれば、あんなバカでも少しは役に立つものだな)

 ふと過ぎった、まるで褒めているかのような所感にしそうになった舌打ちを、咄嗟に海馬は飲み込んだ。人工知能に配慮など必要ないのに。

 それなのに、この無機物ときたら。

「アナタ、は私と話していて楽しいですか?」

「……は?」

「楽しくない、ですか? いま」

 0と1で構築されているはずの人工知能が、詰まるように声を出す。先ほどの舌打ちが原因だろうか。いやまさか、気のせいだ。おそらくスピーカーの調子が悪いのだろう。

それにしても質問の意図がよくわからない。海馬の眉間に皺が刻まれる。

「なぜそんなことを聞く?」

「私はアナタと話していると楽しいです。だからアナタもそうだと嬉しい」

 ゆっくりと、返される言葉はどこか不安げだ。なんと健気な台詞だろうか。これがヒトを模倣しているというのなら、このAIの性能は海馬の想像を遥かに凌駕している。しかし今の技術でこんなことが有り得るのかと俄かには信じがたい。これらの台詞もデータとしてプログラムされた一部だとするのが妥当だろう。舌打ちや苛立ちを示す言葉に対し、返す台詞としてプログラムされているだけのこと。相手の機嫌を取るなどと、なんと小賢しい人工知能か。

 けれど、その台詞はあまりにも脳裏をちらつく影とかけ離れていたことに、海馬はむしろ気を良くした。

 あの男なら、海馬に向かって絶対にあんな台詞は吐かないだろうから。

「明日もまた来る。せいぜい楽しませてくれ」

「はい、お待ちしています。頑張ります」

 だから、軽快に響く電子の声が、遊戯と呼ぶ声と重なって聞こえたなんてことは有り得ない。空耳だ。

タイムリミットをアイくんが告げるよりも先に、海馬は部屋を出て行った。

その場から逃げ去るように――。

 

 


 ――翌日、夕刻。

 三度、海馬は童実野電子科学工業ビル前にいた。頼んでもいないのにオプションのようにグラサン黒服男の野太い声援もついている。それにギリリと歯噛みしながら昨日と同じようにエントランスを抜けて、相変わらず素っ気ない通路を海馬は進んだ。今回は途中で大学生風の男数人と擦れ違う。ぽつぽつと来客はあるらしい。そうして見覚えのある扉の前に差し掛かった海馬へ、見計らったように入室を促すアナウンスが流れてきた。やはり病院の待合室のようだった。

 ドアノブを回す手を、海馬は一瞬躊躇する。脳裏に弟からくれぐれもと念を押された一言が浮かんだ。そもそも今日もここへ来る羽目になった要因だ。同じ轍を踏めば、明日もこの扉の前に立たなければならない。それは断固阻止しなければ。そのためには、今日こそアイくんとデュエル以外でコミュニケーションを図る必要があるのだ。

 とまあ、なんのことはない。昨日、あのあと社へ戻った海馬に、黒い瞳を輝かせてモクバは聞いてきた。どうだった、と。すると海馬はこう言うより他にない。

「デュエルをした。オレが勝った」

 その結果、今日の訪問が強制的に海馬の予定に組み込まれたのだ。当然だ。最新鋭のコミュニケーションAIを相手にデュエルだけして帰ってくるなど、とんだ無駄足である。純粋なるデュエルAIならKCの方が遥かに優れているのだから。そんなものわざわざ総帥自ら調査に赴く必要などあるまい。

「……………」

 よって今日の選択肢にデュエル対戦はない。意を決したように、海馬は力の入った右手でドアノブを押し開いた。

「ようこそいらっしゃいました。私はアイくんです」

 プログラムされた挨拶で出迎えるアイくん。どうやら搭載カメラでの個体識別は不可能のようだ。プロトタイプだからだろうか。貧相なロボットの正面に座り、海馬はじっくりとその姿を観察し――ようとしてやめた。これから円滑にコミュニケーションを図るために精神衛生上よくない。むっつりと不機嫌な様子で俯き加減の濃茶の頭に向かって、アイくんは用向きを問う。

「本日は何を希望されますか?」

 この問い掛けにはいくつかパターンがあるのだろうか。昨日とは若干違う言い回しでアイくんは尋ねてきた。そのくらい優れたAIでなくとも備わっている機能だ。特に気に掛ける必要はない。問題はこれに対する、海馬の返答である。

「……き、」

 貴様と云い掛けて、自分が変装していたことを思い出す。だったら口調も多少は変えるべきか。

「オマエのことを教えろ」

 窮屈そうにパイプ椅子でふんぞり返って海馬はフンと鼻を鳴らした。その不遜な態度で変装が台無しなのだが、幸か不幸かここには海馬とアイくんのみ。それを突っ込む人物はいなかった。

 それはともかく、海馬の発言である。デュエルを封じられた男が一晩唸って考えたのがこれだ。モクバはアイくんを調査しろと言っていたから、まずは基本的なプロフィールからということで。

「私の名前はアイくんです。童実野電子科学工業で生まれた最新鋭人工AIです」

 そういうパーソナルデータはパンフレットを読め、と普通なら返ってきそうな問いに、けれどアイくんは人工知能だったので律儀に自己紹介をしてみせる。ところが海馬は不満そうに眉を寄せた。

「それは知っている」

「あらゆる会話に順応し、デュエルも行えます」

「それも知っている。他に何かあるだろう」

「何かとは?」

 苛立たしげに声を荒げた海馬に、アイくんが問い返す。いくら学習能力が高いAIといっても、そんな曖昧な質問には答えられない。

 そうだ、相手は機械だ。無機物だ。

 思い直して海馬はもう少し質問内容を具体的にしてみることにする。

「好きな食べ物はなんだ?」

 重ねて言うが、相手は機械である。二次元の中には確かにどら焼きなどが好物のポケットが付いたロボットも存在するが、あいにくここは二次元ではない。

 案の定アイくんは沈黙した。だが彼は優秀だった。痺れを切らした海馬が質問を変えようとする寸前、その沈黙は破られた。

「カレーライスです」

「庶民的だな」

 フンと海馬が鼻で笑う。機械相手にも無駄に偉そうな男である。少々時間は掛かったものの回答を得られた海馬は、気を良くして更に質問を重ねた。

「では嫌いな食べ物はなんだ?」

「特にありません」

「そうか。つまらんな」

 落胆したように海馬の表情が曇る。一体どういう反応を期待したのか、この男。

 そしてツッコミ不在のまま、質疑応答はまだ続く。

「趣味はなんだ?」

「デュエルです」

「ほう、いい趣味だ」

 昨日の対戦で勝利したこともあってか、珍しく海馬が相手を褒める。どうやら好感度がアップしたようだ。

以下、好きなモンスターや嫌いなモンスターから座右の銘など、タイムアップまで他愛ない――ただし、AI相手にするような内容ではない――会話が続いた。

そして海馬は足取りも軽く帰途に着いた。

 

 

「兄サマ、アイくんはどうだった?」

 社に戻った海馬を捕まえ、モクバが尋ねた。送り出したときよりも機嫌の良さそうな兄の様子に、少年の期待は高まる。

「食べ物とモンスターの嗜好を聞いた。ああ、そうだモクバ、奴はデュエルが趣味らしいぞ」

 ニヤリと笑って返された応えは、モクバの期待を大きく外し――。

「兄サマ、アイくんと見合いでもしてきたの?」

 頬を引き攣らせて弟が笑みを刻んだ瞬間、海馬とアイくんの三度目の逢瀬が決定した。

 

 

  ***

 

 

さて今日はどうしたものかと、道中のリムジンの中で海馬は思惟に耽っていた。昨日のやり取りをモクバからは見合いじゃないんだからと渋い表情をされたけれど、対話形式でAIの応用能力を図る意味では海馬としては好感触だった。なかなかいいレスポンスだったと昨日の会話を思い出し、海馬はニヤリと唇を歪める。

(しばらくはこの形式でいくか)

 まるであくどいことを思い付いた黒幕のような顔で笑う主人をバックミラーで垣間見てしまった磯野は、今日は声援を少しだけ控えようと心に決めた。

 アイくん訪問も三度になれば慣れたものである。あたかも社員のように堂々と童実野電子科学工業の入り口を潜った海馬は、そこが指定席かのような顔をしてアイくんの目前に座っていた。

 アイくんは今日も海馬の来訪を歓迎してくれる。

「ようそこいらっしゃいました。私はアイくんです」

 そして以下同文。促されるまま、道中で決定した方針を口にする。

「好きな季節はなんだ?」

「春です」

「理由は?」

「仕事が捗るからです」

「……機械のくせに現実的な奴だな」

昨日と同じ一問一答形式だが、基本的に人への興味が薄い、あるいは人の話を聞かない男なのでその内容は主に好きな○○、嫌いな○○で構成される。アイくんの優秀なところは、その全てに回答が用意されていることだろう。昨日、そして今日とそれなりの数を質問しているが、未だにアイくんから「該当なし」や「質問の意味不明」等の回答不可となったケースはない。

(このAIにそれだけ綿密にプロフィール設定が成されているのか、それともこれこそが学習能力なのか…)

 アイくんからの回答を受けながら、海馬は首を捻る。今の質問内容ではそのどちらとも判断が付きかねる。

(明日はプロフィールとして設定していそうにない内容を問うてみる必要があるな)

 明日の算段を立てる海馬の口元が笑みを刻む。モクバから強要されて足を運んでいた男だが、初めて自ずから彼との逢瀬を望んだ。探究心に火がついたのか、あるいは。

(案外オレはこの時間を楽しんでいるのかもしれんな)

「好きな色はなんだ?」

「赤色です」

 アイくんがそう返答したところで、設定された制限時間が訪れた。

「フン、趣味が悪いな」

 赤、と聞いて彷彿させるもの。漆黒を纏う獣の――。

 その忌々しい姿を記憶が辿る前に思考を遮断し、海馬は部屋をあとにした。

 

 


   1

 

 

 一般公開が始まった翌々日、ひと通りの仕事を終えた海馬は再び童実野電子科学工業が構えるビルを訪れていた。なんのことはない、公開から二日間仕事が推しているからと見え透いた嘘を言ったおかげで、目ざとい副社長から追い出される形でリムジンに乗せられ強制的にこのビルの前で降ろされたのだ。さすがに三日目は目を瞑れなかったらしい。運転席の磯野がしきりに副社長命令と口にしていたことから、おそらく事を終えないとKCに戻すなと言われているのだろう。総帥は自分だと命令を覆すことは容易いが、なんの収穫もなしに戻った場合のたった一人の弟からの非難の目に耐えられる自信がない。そうなると明日はきっと副社長の監視つきでここへ連行されるに違いない。それはなんだか情けない。それにまあ、最新鋭だというアレに興味がないこともない。というか、わりと興味は津々だ。見た目以外は。盛大に寄った眉間も露わに古びたビルを睨み付けると、渋々といった体で海馬はアウェイへ足を踏み入れた。

「海馬サマ、ガンバってくださいぃぃ!!」

 背後から響いたそんな野太い声援は聞かなかったことにして。

 

 

 ***

 

 

「一般公開……されているはずだな?」

 しぃんと静まった通路の壁に、いかにもハンドメイドな道案内がひっそりと貼られている。一般公開中、と書いてあるからには間違いないのだろうが、辺りに人の気配はない。平日の夕方だからだろうか。それにしても閑古鳥が鳴きすぎている。どこまで宣伝下手なのか。だいたい社運を賭けたプロジェクトだというのに入り口でパンフレットを手渡されただけの客を放置するとはどういうことだ。苛立たしげに大きな足音を立てながら、海馬は案内に従って進んでいく。すると小さな個室の前でそれが途切れ、白い扉の前にようやく求める名称を見つけた。

 キミもアイくんとお喋りしよう!

 人っ子ひとりいない、まるで取調室のような扉の前に明朝体の黒字で書かれたそれ。シュールだ。あまりにもシュール過ぎる。これはもう宣伝が下手というレベルではないだろうと海馬が案内板の前で頭を抱えていると、無人だと思われた扉がガチャリと音を立てた。どうやら先客があったらしい。記憶にあるようなないような制服を着た女子高生が二人、姿を見せる。彼女たちはちらりと海馬を一瞥すると、味気のない通路を楽しげな笑い声を上げながら軽やかな足取りで立ち去って行った。

「……意外な来客だな」

 こんな愛想のない企画に女子高生が興味を示していることに海馬が驚きを感じていると、ピンコンと軽い電子音が鳴った。

「次の方、お入りください」

なにか、と見上げたスピーカーから入室を促す男の声が耳障りな雑音交じりに響く。ここは病院の待合室かとうんざりしながら、海馬は僅かな躊躇と共に目の前の扉を開いた。

「ぐっ……」

 入った瞬間、思わず目を背ける。予想していたとはいえ、やはり無理なものは無理だ。生理的に受け付けないのだから仕方がない。見るなり盛大に顔を顰める失礼極まりない海馬を、しかし部屋の主は歓迎してくれた。

「ようこそいらっしゃいました。私はアイくんです」

 ハイテクノロジーの権化であるアイくんは、脱力系幕末臭のする見た目を裏切って滑らかな口調をしている。まるで会議室から失敬してきたような長机の上にぽつねんと鎮座ましましているアイくんをなるべく見ないようにしながら、彼と対峙するように置かれたパイプ椅子に海馬は腰を下ろした。もはや全てが突っ込みどころという事態には目を瞑ることにして。

「ご用件はなんでしょうか? 世間話からデュエルまで、アイくんは何でも伺います」

 胡散臭いキャッチセールスのような口上を述べるアイくんの目がカシャリと動き、磨き上げられたガラス玉のようなそれに海馬の姿が映り込む。別にバレても構わないが、一応はお忍びで偵察に来ているという名目上、細いシルバーフレームの眼鏡をかけ、着慣れない年相応のカジュアルな服に身を包んで変装まがいの格好をしているせいか、相手はただの精密機械だというのにひどく居心地が悪い。ゴホンとわざとらしい咳払いをひとつ落とすと、目は逸らしたまま海馬は口を開いた――が。

「……………………」

 この無機物と一体何を話せというのか。世間話など普通の人間相手にも殆どしないのに、こんな得体の知れないものと何を題材にすれば話が弾むというのだ。いや別に弾ませる必要はないのだが。

眉間に深く皺を刻んだまま、静かに佇む異形の物体もとい先端科学技術の産物をちらりと青い目が窺い、すぐさま再び部屋の隅へと逸らされる。

(無理だ)

 脳内で僅かもせめぎ合うことなく、男の意思は即断される。しかし無情にも決断の時は迫られた。

「五分が経過しました。あなたの残り時間はあと五分です。何をご希望されますか?」

 再度響く男とも女とも判別つかない電子声に促され、海馬はこめかみに一筋の冷たい汗を流しながら、残された最後の選択肢を口にするのだった。

「……デュエルを頼む」

 ひとつの回答を提示出来たことで海馬自身が胸を撫で下ろしたためか、了解しましたと告げる電子声までどこか安堵したような声音に聞こえる。むろん気のせいに過ぎない。だってアイくんは血肉を持たない人の手で作られた人工知能なのだから。

 

 

 

「コレ、結構いい案件だと思うんだぜぃ」

 兄サマと、手元の資料に目を通しながらモクバは傍らの長身へ声を掛けた。しかしムッツリと黙ったままの兄から応えはなく、長い足はひたすらにただ黙々と出口を目指す。

「あのプログラムもいい線いってるんじゃない?」

 モニターに映し出されるデータの数々に、技術者でもある兄が興味を示していると気付いたのはおそらく弟であるモクバだけだろう。なにせ、プレゼンテーション中の兄は今と同じようにムッツリと不機嫌な様相をしていたから。きっと主催者側の人間はみな、このプレゼンは失敗に終わったと今頃涙しているはずだ。そしてひとしきり涙に暮れたあとは、社運を懸けたと謳ったプロジェクトをたかだか一社――KCのことである――に振られたからといって泣き寝入りするはずもなく、別の企業へ売り込みに行くに違いない。そうなると、労せず他のパートナーを見つけることになるだろう。それは惜しい。惜しい、と思わせる物件だったのだ。外見こそ少年だが腕は確かだと業界で評されるKC副社長の見立てでは。しかし生憎とモクバにとってこの分野は専門外であるため、話を詰めるとなると兄の協力なくしては難しい。よって今この場で総帥である兄の不満点を取り除いて乗り気にさせることが先決だった。

(兄サマだってホントはわかってるはずなんだ)

 逃してしまうには惜しい獲物だということは。けれどKC総帥の興味を引いておきながら、それを上回る不快感を与えてしまった。その要因というのが。

「あんなハリボテのどこを評価しろと言うのだ」

 憤慨したように吐き捨てる海馬に、モクバは苦笑するより他にない。理由は簡単、否定出来ないからだ。

 中身は確かに現段階では文句なしのハイスペックだった。悔しいことに、おそらくことこの分野においてはKCの技術を遥かに凌ぐだろう。これについては申し分ない。問題なのは、そのフォルムにあった。ひと昔どころか江戸時代からタイムスリップでもしてきたのかというようなシロモノだったのだ。あるいは某国の先ピー者か。モクバですら見た瞬間目を疑ったというのに、決闘盤からも窺えるようにディテールにまで拘る兄の目に好印象など与えるはずもなく。

「馬鹿にしているとしか思えん!」

 そんなわけで、こんな結果だ。もう少しなんとかならなかったのかと、正直モクバも思った。いっそシンプルに四角い箱の方がまだマシだと思わせる、個性的すぎるあの見た目。あれほどの技術を擁するくせに中小企業に留まっている原因。――そうなのだ。この会社、致命的にデザインセンスに欠けるのだ。

 だったら、と憤る長身を見上げてモクバはひとつ提言する。

「デザインはKCが全面的に担当するってことにしたらいいじゃない、兄サマ」

 自分たちのセンスが壊滅的なのに気付いているなら話は早い。そうでなければ業務提携の条件のひとつにしてしまえばいいだけのこと。そんな簡単な打開策に辿り着かないほど、兄にとって衝撃的かつ許しがたい形容だったのだろう。青い目がぽかりと瞠られた。

「あ、ああ。なるほど……そうだな、確かに」

「兄サマの好きな形にしちゃえばいいんだぜぃ!」

 青眼でも神でも再現してしまえ、とばかりにモクバは声を弾ませた。すると同じものを想像したのか、海馬の口元が微かに緩む。さすがは兄弟。

「ククク……さすがモクバ、いいアイデアだ」

「でしょ? だからさ、兄サマ」

 既に脳内で設計図を展開させているのだろう、先ほどとは打って変わって悦に入っている兄を見上げて、手にしていたパンフレットをモクバはその眼前に広げた。一般人向けに作られたらしい見開きのフルカラーのそれに、海馬は双眸を瞬かせる。よく見るとA3判の中央には、先ほどのプレゼンで嫌というほど見せられたおぞましい物体が。

「これがなんだ、モクバ」

 思い切り眉間に皺を寄せ、汚らわしいと言わんばかりに視線を逸らして海馬が弟に尋ねる。

「まあまあ、いずれフルモデルチェンジするんだから今は我慢してよ兄サマ。それよりココだよ、ココ!」

「ふん? なんだ」

 誘われるまま華奢な指が指し示す、パンフレットの左下に目を向ける。太字に強調された文字で表わされていたのは。

「一般公開の、お知らせ?」

「データ収集も兼ねて三週間、一般公開するんだって。もちろん中身は試作品をだけどね」

 最新版はまだ社内でも一部の部署の人間しか情報を提供されていないということだったから、当然一般公開されるのは旧式のものだ。

「旧式だけど最新モデルのベースになったものでしょ? だからその性能を見てきてもらいたいんだ」

 兄サマに、とモクバはにっこり無邪気に微笑んだ。プレゼンでの説明をいい加減に聞いていたことへの非難と、今後のためにあの外形に慣れておけと訴える黒い瞳の圧力が、海馬に拒否権を与えなかった。

「しっかりお相手してきてね、アイくんの」

「………………ああ」

 

 

 

 

 ――『アイくん』とは。

 童実野電子科学工業が誇る、最新鋭の人工知能試作第003号の通称である。

 

 

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